実働29年というプロ野球選手としては最も長く現役で活躍した工藤公康さんの講演のテーマは、
ずばり怪我をしない体、強い体をつくる方法でした。
そのために工藤さんは、子どもの頃からのトレーニングの重要性を説きました。
■講演概要
日時: 3月20日(火・祝)
会場: 鹿児島県医師会館4階大ホール
講師: 元プロ野球選手 工藤公康さん
主催: 鹿児島テレビ
後援: 鹿児島県医師会
協賛: 三井ホーム
■講演要旨
野球をやっている選手の7割が離断性軟骨炎、いわゆる野球ひじに苦しんでいる。野球少年が野球をあきらめる理由はほとんどが怪我です。私も中学生のときにひじを痛めました。プロに入って最後に苦しんだのもひじ。
では怪我をしないためには何が必要か。こどもの内からしっかりしたトレーニングが必要です。なぜなら普段の生活では肩より上で仕事することはほとんどない。肩に安定した力をつけるためには鉄棒にぶらさがったり、逆立ち、手押し車、など遊びの一環で十分トレーニングできる。特に野球の指導者にはこどもの将来をもっと考えて欲しいです。
怪我をしない、病気をしないために大事なもう1つのこと。それは体を冷やさないことです。最近は冷え性の子どもが多い。原因は筋肉の量が足りないから。女性が分かりやすい例です。冷えはすべての病気につながります。では、どうやったら筋肉がつくのか。食事をして運動をすれば筋肉がつくというのは間違い。筋肉をつけるには睡眠が大事。夜から朝にかけての限られた時間にしか成長ホルモンはでない。しっかり食事をして、しっかり睡眠をとる。夜更かしする子どもは筋肉がつきません。
もうひとつ丈夫な体づくりに大事なこと。それは当たり前ですが食事です。食事で大事にしてほしいことのひとつ、それは「酵素」です。人間の体で酵素が働くと修復と成長を促してくれます。免疫能力も高まる。これさえ食べればということはない。バランスよく食べること。食べ物の組み合わせが大事。たんぱく質を摂れなかった昔の日本人がなぜ筋肉がついたのか。昔の食事を思い出してください。味噌汁、漬物、ご飯。中でも味噌汁から酵素が摂取できます。小さい頃はどこの家庭でも自前で味噌を作っていました。「酵素」は大事です。よく覚えていてください。最近流行のサプリメントをよく飲む人がいますが、サプリメントはあくまで、栄養補助食品。メインではありません。
また、食事をしてすぐにトレーニングするのはよくありません。体があったまってない状態でトレーニングすると怪我をする。お腹がすいてから動く。食事をとってそれが十分消化吸収されて血液・筋肉に栄養分が行き届いた状態でトレーニングをすると良いでしょう。オススメはあたたかいおにぎり。具は梅干。エネルギーの持続力が長いからです。プロ野球を見ると栄養管理のトレーナーがほとんどの球団にいますが、カロリーだけを気にする傾向にある。大事なのは栄養素です。
私のトレーニング方法は、朝起きてすぐ走る、それから食事を取り、1時間近く空けてからランニングやキャッチボール、そして、うどんなど軽い食事をとり、また1時間近く休んで、トレーニング。つまり、毎日、エネルギーを使い切ってからエネルギーをとることを繰り返す。朝7時過ぎから夜7時まで40年間繰り返してきました。
股関節が固い子どもが多い。イス、洋式のトイレが原因。メジャーの選手は上体の力だけで150キロ出せる。日本人は下半身を使わないと無理です。だから、なるべく小さいうちから股関節の稼働域を広げる、やわらかくする練習が必要です。野球教室で最初にやるのは四股をふむことです。
野球だけやっていても野球はうまくなりません。9歳から15歳までのゴールデンエイジとわれる間にいろんなスポーツをやるのが大事。私は小学生で体操部、中学ではハンドボール部、中学の先生に薦められて本格的に野球を始めた。結果的に、股関節がやわらかい、バランスの良い体で野球を始めることができました。同じ野球をやるにしても色んなポジションを試してみた方がよいでしょう。
はじめに言った通り、ひじをいためて野球をあきらめる人が多い。では痛くなったらどうするのか。方法はひとつ、休むこと。休むと1ヶ月で痛みは取れるが、完全に治ってはいません。3ヶ月は休んでください。長い野球人生を送りたければ、3ヶ月くらいの休みは大したことはありません。若い時の小さな関節のずれが、大人になってから大きな怪我につながります。
これから僕は野球だけだなく、他のスポーツも、もっと盛り上げていきたいと思っています。そのために、なるべく壊れない体を作る方法をどんどん子どもたちに伝えたい。そうすれば、松坂君やイチロー君のように、10年に1人、20年に1人の選手がもっと出てくると信じています。
■講師紹介
工藤公康さん: 1963年5月5日生まれ。176㎝、80kg、左投げ左打ち。
名古屋電気高校(現・愛工大名電高校)3年生の夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)に出場。
ノーヒットノーランを達成するなど、ベスト4進出の原動力となる。
1982年、西武ライオンズに入団しエースとして活躍。以後、福岡ダイエー、読売と渡り歩き
3球団すべてで日本一を経験していることから「優勝請負人」と呼ばれる。
2011年引退。実働29年は歴代1位。通算224勝(歴代13位)。



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